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Rachmaninov

2009.12.04 Friday,05:22

ラフマニノフ1久しぶりにCD購入。今日ようやく届いた。

本人の演奏録音が残っているらしいって話までは知っていたのだけど、そういえば聞いた事無かったなぁ、という事で、ラフマニノフ自身が自分の作編曲を演奏しているCDを購入。
本当は10枚組が欲しかったのだけど高いしさー。

これ、約90年前の録音なのだ。
日本では大正時代あたり?

ピアノロール(って、当時の自動演奏ピアノ用の録音紙テープ)に録音されたものを復元してCDにしたものらしい。

おそらくCD化にあたり、ノイズなどを取り除いて出来うる限りクリアーな音に編集されたはず。
勿論ミスタッチはそのままみたいで、音圧レベルやピアノ独特のタッチの雰囲気なんかも鮮明に録音されているので、当時のラフマニノフ自身の演奏にかなり忠実な音楽を聴けるんじゃないかな。


早速聴いてみたのだけれど、やっぱりこの人、ピアノの演奏技術がめちゃんこ凄かったって事が一目(耳)瞭然でわかる。

自分にとって懐かしい曲がいくつか入っていたので、久しぶりに楽譜引っ張り出してきて音符追いながら聴いていたのだけれど、自分にはどうしても弾けなかった(手の大きさが足りない)部分が、至極当然といわんばかりに「ガッツリ」弾かれている・・・。

まぁ、片手で鍵盤12度を余裕で押さえられたと言われる人ではあるものの、それにしたってやっぱり上手い。男っぷりの良い大胆な弾き方しながら、要所要所が物凄く繊細。




こっから先は独り言。まとめる事が出来ないまま、いろいろ覚書。


いつからなんだろう。
クラシックにおいて、「演奏家」と「作曲家」が分かれる事が当然のようになったのって。

例えばJ.S.バッハもモーツアルトもショパンもベートーヴェンも作曲家であり演奏家であったのに、現代における"有名"であり"人気の高い"「クラシックピアノコンサート」出演者の「ピアニスト」は、「演奏者」のみの役割を果たしている場合が多いように思う。(※無知な私がただ単純に知らんだけかもしらん。)


クラシックにはクラシックの哲理があり、過去の楽曲に対して、作曲者の意図するものを忠実に拾い上げつつ個性・感性を表現する事がいかに時間がかかる事であり、いかに難しい事か、というのは私にも何となく想像出来る。
だから、「素晴らしい演奏者」で居られる事自体、血の滲む様な勉強と練習との努力の積み重ねの上にしか存在しえない大変な事なのだろう、というのもわかるのだけれど、、、
昔は、そんな「演奏者」である前に「作曲者」という肩書きがついている場合が多かったりしたはずなのに、時代のどの段階で両者が分かれて行ったのかと、ふと疑問に思った。


ラフマニノフの演奏を聴いていて、おや?と思うところがあった。
一般に流通している私が持っている楽譜よりも、明らかに音数や小節数さえもが多い部分が何箇所かあったから。注釈として書いてある表記と演奏上の表現自体も全く違っていたり。
単純ミスで弾いちゃったってのではなく、彼が意図的に変えたのだと思われる弾き方だと感じた。

ラフマニノフ本人が作曲に関して
「自分の内から出てくるものをそのまま音に表現するように努めている」
というような事を言ったという記述が残されているらしい。

だから多分、この作曲家は、曲を書いて発表した後、自分で弾く際にやっぱりこっちの方が良いよな・・・と、心が感じたままに演奏の方を変えたのだろう、と勝手に推測した。
「作曲家」であり「演奏家」である人は、コレが出来るのが強みだよなぁ、と思った。
いつまで経っても自分の中での発展をダイレクトに反映してゆける上に表現し続けて行けるから。
でも「演奏家」だけであろうとすると、これは絶対に無理なんだ。
だってクラシックにおいて、書いてある楽譜から勝手に音増やすなんて言語道断だし・・・。

それなのに、音を増やせないのに、忠実に再現しようとしているのに、結局は「昔の人の意図」なんて正確にはわかる訳無くて。
このラフマニノフみたいに、楽譜に表現している事と真逆の演奏してたりする場合だってある訳なんだから、本当の意味でのその曲の意図を汲み取るには限度があるんじゃないだろうか?
まぁ、その「限度」から先の表現方法が演奏者の個性に繋がるのかもしれないけれど。

なんにせよ、あまりにも過去の有り様にこだわり過ぎると、何か大切なもの吹き飛んじゃうような気がする。


そんな事をぐるぐると考えていたら、演奏とは? 作曲とは? みたいな思考回路に入って行き、また寝れなかった・・・。


まぁ難しい事は私には良くわかんないけど、とりあえずラフマニノフ、好きだー!


そりゃいんだけど

ラフマニノフ2

「自作自演集」っていうニホンゴの響きが、自分にはあんまりしっくりこないのは何でだろう。


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2014.11.23 Sunday,

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コメント
自作自演、、、なんて悪い響きがある日本語だなあ。。。。。

ラフマニノフ、、、、、クラシック知らないけど、、、、昔、、、、Junky Funk(曲)のような感じの曲があって、それがラフマニノフだったので、注目した人だなあ。彼の中でのFjord Sound系ものあった(また分けるな〜!って?)。

譜面通りに弾かないで好きなようにある程度フェイクする、、、、ジャズ的な発想だけど、それがクラシックだと作曲者にしか許されないところ、、、、、ジャズならまるで無法地帯だ。
うちの音楽では

CPJ←フェイクしない方がよい
Fjord Sound←フェイク歓迎

ってな線引きもあるけど、、、、。



作曲者と演奏家を分けたのは、より集中してゆく為の分業なんだろうけど、、、、

妙〜な感じがするなあ〜  ふしぎふしぎ

まあ、クラシック界全く知らないけど

おいりょんデパぴし,2009/12/05 11:46 PM

実はこのまとまらない話にはまとまらない続きがあり・・・
長くなりそうなので気が向いたら目を通して頂ければ、、、という事で、、、


昔、私が中学か高校生の頃
「人の身体能力面から考えると、実現出来うる音楽演奏技法は、名だたる音楽家・作曲家達によってほぼ全て出尽くされたから、音楽としての大きな発展は今後無いだろう」
みたいな事を、どえらい音楽家みたいな人がラジオだかで言っていて(誰か失念)、幼いながらに「???」が頭の中に浮かんだんですよね。何言っちゃってんだか、と。

クラシックでも(って私、詳しく無いですけど)多分本当は沢山居るはずだと思うんです。演奏者=作曲者の人。
それで活動されている方も、おそらく沢山居るのだと思うのです。
でも、そういうのぜーんぶ、それこそジョンケージみたいのと一緒に「現代音楽」ってくくりで一括されて締め付けちゃって、名だたるクラシックコンサートでオリジナルをやりますなんて人は少なくとも私は見た事がなく、大抵は過去の有名どころの作品を弾かれていたりする気がするんです。
需要の問題もあるんでしょうけど・・・これが問題なのかなぁ。

J.S.バッハまで遡ったとしても300年以上の歴史があるから、それら「過去の音楽」を全て学ぶだけで「現代」にまで行き着く事が、尋常じゃないほど困難なのかもしれません。少なくとも私には、あのままクラシックやってても到底行き着けなかったと思うし・・・
だから必然的に「分業制」になるのかもしれませんが、分業制になってしまったが故に新しい音楽が作られなく・弾かれなくなり、「過去の偉大なる音楽」ばかり需要があって、その事が「大きな発展は今後無いだろう」と言わせてしまう要因になったりするのかなぁ、とか思ったりもしました。
別に演奏者=作曲者であるべきだ、とは思わないですけど、もっとあっても良いんじゃないかなぁって。

古い物が悪いとは全く思わないですし、むしろそういう古いものに対しても聞いてみて「良く出来てんなぁ・・・」と思う事は沢山ある訳で、でも、良く出来てるなぁと思えば思うほど、その「良く出来ている」を忠実に再現するのではなくて、「もっと良くしたもの作りたいなぁ」と思うのが、今の自分にとっては当たり前のような気がするのですが。。。これって別に音楽に限った話ではないですよね・・・。

発展は有り得ないなんてのがそれこそ有り得ないですよね。
ジャズとクラシックの違いがあるとか言っても、単純にリズム面の発展性を考えても、Junky Funk(曲)みたいなアプローチってクラシックでも出来るはずだと思うのですけどね。

そもそもこの「クラシック」ていう呼び名もいかんのじゃー!


> CPJ←フェイクしない方がよい
> Fjord Sound←フェイク歓迎

実はクラシック(便宜上そう呼ぶです)にも、この違いがあったりするです。
大抵は一曲の中で両者が混在していますけど、スゥィングのようなリズムが(曲のテンポによってスゥィングっぷりが3連に近くなったり5連に近くなったり、とか変わる)バロック時代にもあったりしました。釈迦に説法ですが・・・

それを考えるとクラシックも多分昔から今みたいに絶対的で厳密な緻密性があった訳じゃないのではないかと思ってもみたり。
それが今みたいに変わったのって、何でだろうなぁって。


> CPJ←フェイクしない方がよい

フェイクでは無いですけど、例えばメトロポリスなんかのテーマの短3度ハモりだとか(ってこれは作曲者の案だたー!)、バッキングの入れ方でのテーマの変容っぷりとか、そういうのを自由に出来るところが、クラシックでは味わえない、CPJおもろいな、と思える要因の一つです。



自作自演って、酷いですよね。センスゼロ。

くりす,2009/12/06 3:20 PM

ううむ〜

この話題はかなりディープだなあ。
みんなに投げかけたくなるような。

でも、反応ないんだろうなあ〜こういうのって



クラシックという言葉の呪縛、、、、。


なんでクラシックなんて名前になっちゃったのか。おかしいような。クラシックに根ざしているものも全部クラシックと呼び、、、、よくわからないと現代音楽、と呼ぶ、といういい加減さ。


ジャンルの名前ってほんとはどうでもいいんだけど、聴く人にとってはおおまかな見出しとして、必要なもの。



しかも、クラシック、と言われるスタイルではもうやり尽くされていてあとはそれを塗り直し続けるとしたら、
作曲家なんていらない、、、、、と言われてるようだ。


しかも、、、、、、やり尽くされたから、もうやることないから、と行き着くのが、、、、
「演奏すらまともにしない、、、とか、、、、、、フリーとか、、、、ピアノの弦を引っ掻くとか、、、、、ピアノのふたを開けて、、、また閉めるとか、、、、、、ねこにピアノ弾かせるとか、、」ってのは、ずいぶん怠慢じゃないかと思うよ。



まだまだ作曲的にも可能性はあるのに。。。




,2009/12/10 12:28 AM

ん〜。反応が無いっていうか・・・
世の中的にドウデモイイコトなのかもしれないです・・・(苦


> よくわからないと現代音楽

もうまさに・・・。
まぁ「現代」でやってる「音楽」だという意味なら、まとめちゃうのも間違いでは無いのかもしれませんが、これだけジャンル分けを必死こいてやってる世界なのに何故かこの「現代」においてだけはいい加減なラベル付けっていうのも不思議な話ですよねぇ。


> ジャンルの名前ってほんとはどうでもいいんだけど、聴く人にとってはおおまかな見出しとして、必要なもの。

なんとなく、聞く人にとって必要というよりも、CDショップのCD陳列整理用に必要な物のような気がします・・・。


> 「演奏すらまともにしない、、、とか・・・

時代の途中から「音楽の発展」って話が「音の響きの実験」にすりかえられちゃったような・・・。
音の偶発性を楽しむって概念の極端な例なんだろうけど、それってもはや楽曲じゃ無いですよね。
何を音楽と呼ぶかって話もあるかもしれませんが。

ジョンケージの初期の頃の割とまともな作曲作品が入ったCDがうちにあるんですけど、コレを音楽の発展の限界とするのも「???」です。もっとイケるんじゃないのかなーって。

まー私もラフマニノフ好き〜って言っちゃう人間ですし、偉そうな事はこれっぽっちも言えない身分なのですが、ただ少なくとも「限界」って決め付けるのはどうかと思ったりするです。
私は、「上塗り」もそれはそれで楽しいし奥が深いとは思うけれど、「新規開発塗料」も色彩豊かで心躍っちゃうよ〜って思ったりするし、そっちをいろんな人に教えてあげたいなって思ったり。

そしてきっと「新規開発塗料」やってる人って、私が知らないだけで、もっと沢山居るハズ。。。
だと思いたい・・・


そいえば、ジャズの「スタンダード」って表現もかなり変ですよね。
だいたい私にとっての「スタンダード」って世の中で言われている「スタンダード曲」じゃ無いし・・・。

くりす,2009/12/10 5:10 PM

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